キャッシュレス決済の普及は、
自分の身の回りの生活に、
どんな影響があるのだろうか。
また、スマートフォンを持てない・持たない層の生活は、
どうなっていくのか、ぼんやりと考えてみた。
デジタル円の実用化?
2021年7月28日の日本経済新聞によると、
中国のデジタル人民元は、民間ではなく中央銀行が発行したデジタル通貨
で、
日銀も4月から「デジタル円」の実証実験をはじめた。
そうだ。
2021年7月現在、わたしは実際に
クレジットカード決済や携帯キャリア決済を利用したことがある。
そして、現金をお札や硬貨で持ち、
財布から支払いをすることがほとんどなくなっている。
理由としては、まず、硬貨を触るのが衛生的でないとされることにある。
もうひとつはやりとりが時間のロスという考えからだ。
ただ、ここに至るまでには様々な障壁があった。
もともと紙の通帳運用で使用していた銀行は、
同行内での預金の移動、つまり同行内での送金以外は、
振り込み手数料がかかるのが一般的だ。
定期預金をしていても、金利は0.001%程度という場所で、
振込手数料が1回に付き300円程度かかってしまうのは、
庶民のわたしには気がかりだった。
そこで、ネットバンクを開設してみたり、
既に利用している銀行の通帳を無通帳のシステムに変えてみたりした。
10年以上、給与の受け取りや生活費の支払いをしていると、
あっという間に紙の通帳は溜まっていってしまう。
個人情報のかたまり、という認識もあるから、
気軽に捨てることも気が引ける。
実は、引っ越しの際にかさばったり管理に困る備品のひとつでもあった。
だから、紙の通帳が必要ないという運用は、
とても気が楽だ。
一方で、IDの管理が重要となってくる。
一部の方々は、IDやパスワードを一元管理してくれる有料アプリケーションを契約して、管理ストレスを軽減しているようだ。
しかし、そのサービスが終了する時は、どう対応するのだろうか?
もちろん、利用者には料金を請求するだけのセキュリティは完備しているだろうし、
使用者本人も何かしら対策を立てているのかもしれない。
けれど、まだまだアナログな管理をしているひともいる。
社員や派遣会社の研修では、
基本的なパスワード管理、
例えばブラウザに保存しないだとか、
机のパソコンにID&Passwordをかいて貼っておくことは禁止する、
などの教育をしている。
けれども、やはり忘れること、
ログインできなくなることを恐れて、
付箋を貼っているひともいる。
システム管理者に問い合わせれば、
Password忘れなど、
なんとでもなるような気もするけれど、
やっぱり控えておかないと自分が利用できなかったりする。
その手間が怖いという気持ちはよくわかる。
アナログからデジタルへの切り替えの時代にいる世代は、
とくに慎重なのかもしれない。
生体認証や顔認証も実装されてきているけれど、
たとえば、指紋認証は寝ている間にロックが外されるなどの事例もよくある。
お天道様がみている?
「超リテラシー大全」には、
重要な情報は基本的には、持ち出さない、
接続もしない、仕事とプライベートのパソコンは分ける、
そして、すべての情報は流出する、と思って行動していくのがよい、
というようなことが書いてあった。
いち庶民の重要情報は、GAFAMに提供しているので、
ほとんどないようなもの、という気もしているけれど。
仮に残したくない情報が今、
手元にあるのなら、
即刻抹消せねばと思った次第である。
デジタル円の普及
まわりを見渡すと、
スマートフォンは当たり前に持っているひとが多い世の中となったけれど、
依存しすぎていないか注意する必要もある。
それは、SNSの利用にかぎらず、
もしも手持ちのスマートフォンが使えない状況になったら、
自分はどうやって身の安全を守るだろうか。
実際、東日本大震災の停電では携帯電話は、
充電がなくなればなんの役にもたたなかった。
Twitterで給水車の到着情報を手に入れた人もいたようだけれど、
やっぱり歩きまわって探すしかない情報もある。
こういうとき、シニア世代の知見はものすごく頼りになる。
だから、世代を越えて協力できたらなお良い。
電話すら使えず、いざとなれば知り合いの誰とも連絡が取れないこともある。
突き詰めれば「生きていればいい」と思っていても、
実際には精神へのダメージを受けて冷静でいられるひとは少数だし、
こころ揺さぶられることに辟易する自分に気がつけないほど、
目まぐるしく状況が変わることもある。
ありきたりに、バランスが大切
ITの進歩は大いにたのしんで利用するのも良いし、
それが使えない状況になったら自分ができることは何か、
日頃から備えておく。
ひとつに依存しすぎない、
スマートフォンも使いこなせて、
パソコンも使いこなせて、公衆電話の使い方も身につけておく。
そんなことができたらいい、
というのが理想なのかもしれない。
なにも、ひとりですべてできる必要はない。
補い合えればそれでいいのだろうと思う。
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