Essay

持ち運び可能なスキルとは?【ポータブルスキルを考える】

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もしも、「なんでこんな勉強しなきゃならないの?」と思う学生の方がいて、

モチベーションが保てないという場合、

机に向かう以外の勉強もあるよ、

ということを書きたいと思います。

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わたし自身、10代のころ、こんなことを思っていました。

「なんでこんなこと覚える必要があるのだろう?」

「意味なんてあるのだろうか?」

「何の役に立つのか?」

「なぜ揃いもそろって大人は勉強した方がいいと言うのか」などです。

学校で与えられた課題をこなしているとき、

あまりにも課題が多いと感じるとき、

机に向かう勉強が難しく感じられるとき、

似たようなことを感じる方もいるのではないのでしょうか。

02

確かに、算数や数学が苦手だと、

1次関数や2次関数って、仕事に使うかな?だとか

指数関数って生活には使わないよ!と感じることもあります。

そのような、概念や考え方がわからなくとも、

生きていくことはきっとできます。

なぜなら、使わないような仕事を選んだり、

運良く、たくさんのお金を手に入れることが、

できるかもしれないからです。

未来は、だれにもわかりません。

学校や塾の先生も知らないし、

保護者の方も、お友達やお兄さんお姉さんにもわかりません。

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しかし、未来がわからないからこそ、

「備える」「学ぶ」ということも必要になってきます。

それは、なにも机に向かうことばかりではありません。

たとえば、「ひとりでごはんの準備をして、片付けまで出来る

ようになることも、「学び」です。

30歳のおとなで、包丁を触ったことがない人もいます。

ごはんはいつも牛丼を買ってくる、というひともいます。

そのような生活の仕方もありますが、

果たしてしばらく健康でいられるのでしょうか。

健康を守っていくためには、最低限の栄養のこと、

ごはんの値段などを知っておく必要も出てきます。

それは、働けなくなったり、

勉強できなくなるリスクへ「備える」ことでもあります。

だれかに、やってもらう方法もあります。

お手伝いさんを雇ってお願いしたり、

結婚してパートナーがやってくれるかもしれません。

どうしても苦手でできないことを無理することはないと、

わたしは考えますが、

いちどは試してみても良いのかもしれません。

そうすることで、やってもらえるありがたさもわかるからです。

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「モノ」はいつか無くなったり、壊れたり、

自分のもとを去っていきます。

それは、東日本大震災を経験したわたしだからこそ、

「確実なこと」としていえます。

だから、なにも買ってはいけないといっているのではありません。

いつか自分のもとを去っても、

また手に入れられるスキルを自分で持っておくとラクですよ、

ということをいいたいのです。

30歳、まだまだひよっこのわたしがこのようなことを書くのは、

おこがましい限りであります。

しかしながら、10代、20代を懸命にもがきながら過ごしている方に、

こんなメッセージがとどけばいいな、と思います。

最後に、わたしが10代のころに出会った言葉を贈ります。

カタストロフ(破局)的な状況のときに持ち歩けるものは、

「頭の中につめ込んだ知識」と「身体化した技術」だけだからね。

自分に投資するなら「何があっても絶対になくならないもの」に投資すべきなんだよ。

今あるシステムが瓦解したときにも使える資源の開発に、若い時は努めないとね。

出典不明 ノートメモより

経験や勉強が「役に立った」と分かるのは、

ずいぶんと後になってからです。

未来の「備え」として、すこしでも知識や技術を身につける

今日、が送れますように。

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