Essay

9月5日のひとりごと【左利きのエレン】

00 お菓子のジェネリック化?

久しぶりにセブンイレブンに行ってみると、そこで目につくのはレトロなパッケージのお菓子や紙パックのドリンクだ。

後から販売される薬をゾロだとかジェネリック薬といったりして、わりと真似事してるだけだとかいわれりすることもある。

だけど、一時期は国が後押しするくらい価格が下げられる。ジェネリックが売れる理由はほぼ価格にある気もする。

それはお菓子にも展開しているのだろうか。

新しいもの、斬新なものは溢れかえって、消費者はモノやサービスを選べなくなってしまった。だから定番の提供に価値がうまれた。

水野学さんのTHEにも繋がる。

レトロなパッケージは若い世代には目新しいし、成熟した世代には懐かしさで手にとりたくなるのだろう。

まずは「これ」というものを時代が求めているというのは、本当のような感じがした。

01 ダウンコートと半袖の共存

街では半袖のひともいるというのに、すでにダウンやコートが展示されている。

もはや秋を超えて夏が過ぎると冬になってしまうのだろうか。

きっと無駄な在庫を抱えないためな気がしている。

雫を見ているのがすき

雨が降ってきて、いつもいくカフェも閉まっていた夜、車での迎えを頼んでいたひとにちょうど会えて、助かった。

車のフロントガラスに雨粒が集まってきた。

雨はほとんど透明なはずなのに黄色や青や赤が混じる。

雨の音はいい。

一定のテンポのようで軽い音も重い音もかさなっているから飽きない。

子供のころは窓の雫たちが集まって川を流れるのがおもしろかった。二つの雫を追うともっと大きな川になるのに、どうもべつべつの道をたどることが多い。

流体力学とかいう学問があるらしいので、この不思議は説明出来そうだ。理解できそうにないけれど。

漫画左利きのエレンを読んだ。

エレンは絵は言葉だからという。

自分は描くのは好きだったのに、いつから描かなくなったんだろう。

誰かと仕事をするのは良いこともある。

目の前の作業によって、他の苦しいことを忘れさせてくれる。仕事に逃げているというひともいるけれど、逃げる方法も時には必要だ。

たくさん気になることがあるときは、歩くようにしている。

自宅に籠っていると、同じ思考をまわるだけで滑稽だだから。

だけど疲れて自宅に着いても眠れないことがある。

そんなときに浮かぶことは、ほぼ大したことがないから、忘れた方がいい。

03 本音が見えない関係性は普通じゃない?

自分より若い世代の本音が見えなくて寂しさを感じる、接し方に距離を感じる、自分を上司として指示を仰ぎにくるひとが多いように感じる。

そんなかつての同僚であり先輩の言葉を聞いて、この悩みには解決策があるのか?と思ってしまった。

なぜなら、本音で話してほしいと願うひとと、部下たちは別の人間で、他人を変えることは不可能に限りなく近いことだと感じたから。

きっと悩みは良い関係性を築けていないという部分なのだろうと今は思うのだけれど、仕事をする上で本音は必要なのだろうか?

口にしない他人の本音を想像することから、理解は深まるのだろうか。

私の想像では、もう年下のひとたちは育ててほしい、会社がなんとかしてくれるとは思ってないように感じる。タイミングは様々とて、いくらでも転職なり留学なり理由をつけてその場を離れていく。

ずっとこの場で骨を埋めるのだ、という感性のひとはどのくらいいるのだろう。

わたしがあまり踏み込んだ関係性をつくるのが得意ではないから、そう思うだけなのかもしれない。

軽く10代や20代向けのファッション雑誌を見ても、後半のコラムでは定住や定職ではなく柔軟性を重んじるタイプが受けているような気がしている。

もちろん、大企業信仰はまだまだ健在だし、やっていけるひとはその手厚い待遇を手放す必要なんてないのかもしれない。

04 解のない問いかも?

就活とかいって自己分析だとかエントリーシートを書いたりだとかしたけれど、未だにすらすらは書けそうにない。

掘り下げると自分は何者なのかという問いに答えることなのだけれど、こんなの生涯わからない気もしてくる。

そして考えるのをやめた。

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