Essay

AIが浸透してもビジネスは人と人らしい

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なんのあてもなく、とにかく外に出ようという気分になることがよくある。それは自分のコンディションが良いときだと思われがちだけれど、実際のところは違う。悩みがあるとき、それが解決できそうにないとき、またはなにが問題かすら分からないほどに混乱しているときだったりする。きっとひとりで自宅にいてもどうしようも無いと分かっているから、友人に会うかもしれない場所に出向いたり書店をぶらついて、釣りタイトルにしっかりと釣られてみたりするのかもしれない。

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逆に順風なときは出歩かなくとも落ち着いていられる。休日は何をしている?という問いに対して自宅で淡々と本を読んでいる、なんて答えたとしたら真面目な人だとか勉強熱心みたいなイメージを持たれることもある。けれども、エッセイであれば誰かの日常だったりくだらないことがつらつらと書かれているのものだから、何もオンラインゲームして暇つぶししているのとなんら変わりないと思っている。

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つくづく自分の適性やら特徴は自身では気づかないものだと思う。新卒のときは営業職なんてあり得ないと選択肢から除外していたけれど、この頃選考が通ったり面接でのリアクションが良かったのは全て営業職の募集企業だった。実際にオンラインでお話してみて感じたのは、’営業’という枠ってそもそも存在するのか?というくらいタイプが違う人たちが居るなあということだった。自分が在籍していた企業の営業部門のイメージが先行して凝り固まったままだったのだとも知った。

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商材を売る前に自分を売れ、と営業畑ではいわれるらしい。外資の営業部門で30年以上活躍なさっている方によると、忘年会シーズンにお客様の会合が終わるのを出待ちして、交渉事をしたことがあるという。そのときは成約しなくて心折れそうになったのだけれど、翌年1月には熱意が伝わったからと契約していただけたのだという。繰り返しおっしゃっていたのは、泥くさい、地味なことばかりで最後は’人’なのだということだった。AI分析が主流になろうが、他言語変換できる生産管理システムが登場しようが、ビジネスは人と人なのだという言葉が印象に残った。ちなみに、成果報酬型の給与体系だと契約がとれない月は貧民になるらしい。

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お金のむこうに人がいる、という本の読後にも似たようなことを思った。アプリをインストールすればサービスが使えて、カード番号をカメラスキャンすれば支払いも自動でできてしまうような世界だから、ついつい開発した人がいることやカスタマーサービスの先には人がいることを忘れがちだ。この瞬間の自分の行動は、誰かを幸せにするだろうか?このお金の使い方は、有意義なのだろうか?安価だからといって使い続けることで誰かが苦しんだりしないだろうか?

毎日のようにニュースは騒がしいけれど、事実はどこにあるのだろう。やっぱり世界は広すぎて、わたしの見えている世界はちっぽけだ。

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