Essay

便利で不自由だったり

01

朝から快晴で雲ひとつない。太陽がでているから外はすこしだけ暖かくも感じる。コートが不要なほどではないけれど、着々と春に向かっている感じがしている。なんとなく職場から4日も離れると何を続きからする予定だったか忘れているのだけれど、そのくらい活動的な週末も良いのかもしれない。

02

昨日の夜にラーメン屋さんに行って餃子定食と炒飯定食をシェアしたのだけれど、また写真を撮るのを忘れた。食べ終わる頃になってブログ用の撮影を忘れた、と気づいたのは今月になって何回目だろうとも思う。注文したときからスマホをテーブルに置いておかないと、冷めないうちに食べたい気持ちが先行するので、インスタは向いてないと複数の友人から言われる。その通りだな、と思う。

03

時代の波に置いていかれそうなので、SNSはアカウントだけでもつくっておこうと思っているのだけれど、どうもすぐ飽きてしまう。最近はLINEも面倒で、電話番号でやりとりするメッセージ以外は家で見ている。

グループLINEはリアクションが遅れるけれど、なんとかなった。あとはあまり連絡がまめではない人、と思われている方が楽な感じもしている。もともと家族はガラケーの時代から携帯を携帯しない人たちばかりだったというのもあり、リアルタイムで繋がっていなければならない危機感が薄いのかもしれない。

04

便利な世の中とは聞くけれど、不自由と感じることも多い。連絡を読んだらいいねボタンを押してほしいとアナウンスがある場合も存在する。既読スルーという言葉があるくらいだ。メールや手紙は送り手の一存というか、返信がなければ返せない状況にあるかその宛先がアクティブでないという観点を持つ人は少ないのだろうか。レスポンスがないことを無視されたと感じるのは感覚だからどうしよつもないことだけれど、すべてに反応を求められる関係性は不自由だと思う。