Essay

ありふれているけれど。ありふれているから、とにかくやってみる

00

自分から出る言葉は、

いままで出合った言葉の組み合わせに過ぎない。

01

誰からきいたのか、はたまたどの本から得た言葉なのか忘れたのですが、

ふと思い出すから、記憶というシステムは不思議です。

02

自分でブログを書いてみたいという思いは、

数年前からありました。

しかしながら、いま一歩踏み出せなかったのは、

きっとありふれたことしか書けないと思っていたからです。

よくある考え、よくある話、

だれもが知っていそうなこと、

だれもが考えそうなこと。

それを書いて面白いと思うひとがいるのか?という部分で、

踏みとどまりました。

03

たとえば、モノは多く持たないほうが楽だから、

シェアして機能を満たそうという考え方は、

ミニマリストという言葉が流行った頃に知りました。

自分の感覚にもすんなりと馴染んだからこそ、

いまでも参考にしているのですが、

結局は自分の考えでもなんでもない。

ほかには、どうなるか分からない未来を心配するよりも、

今日をどうするかに集中しようという考え方は、

映画の影響だったように思います。

「今日が最高なら、明日のことは考えない」

きっと観たときにしっくりきたのでしょう。

04

自分のポリシーのような、

行動指針はいままで触れ合ってきたひとや、

本、出来事、映画などの中から、

いまの価値観が出来上がっています。

そして、それらは、誰かの思考の断片の集合に過ぎない。

だから、なにかアイディアを思いついたり、

疑問が浮かんだりしても、

大したことはないのだと、いつも考えています。

きっと世界のどこかで同じように頭に浮かんだひとがいて、

知ろうとしたり解決してきたひとがいるとも思っています。

つまり、頭に浮かぶことは、大したことではないのだから、

どんどん好きにやってみようということです。

自由にやってみればいい。

だれも気づかないかもしれないし、

ほとんどのひとは興味を持たないかもしれない。

だからこそ、試してみたらいいということです。

そんな考えに至りました。

ひとりで自宅に籠もっていると、世界が自分中心になるけれども、

ソトのひとはソトのひとで忙しく、

自分に興味はない。

だから、もっと好きに興味の向くままトライしようと思う、

今日このごろです。

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