Essay

イベントを自分でつくろう

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クリスマスとクリスマスイヴはどちらがめでたい日なのか、いまだによく分かっていない。なんとなく子供のころから、フライドチキンやグラタンやケーキのような、普段とは違うものが食べられる日というイメージだけれど、イルミネーションも光っているなあと思うだけだった。

01

かつてはハロウィンは自分には関係のないイベントだと思っていた。街なかで仮装して歩くひとを観ながら、たしかに楽しい気持ちにはしてもらったのだけれど、自分がやりたいとも思わなかった。

けれども、なにか理由をつけて楽しもうと自分からアクションしていかないと、漫然と時間が過ぎていくのだなあと気づいた。過ぎた時間は買い戻せない。

02

わたしの幼少期を思い返すと、日本の伝統的なイベントには積極的だったような気がする。

満月が観れるとニュースになった日はお団子を買ってすすきを拾い、花瓶にさして雰囲気をだす。お風呂にゆずをまるごと入れる日もあれば、しょうぶが入る日もあった。

冬至の日はかぼちゃに小豆をかけて食べると風邪をひかないらしい。その年にインフルエンザにはなったけれど。年明けには雪だるまをつくって疲れたらおせち料理を食べたし、節分の日はピーナッツを和室で投げまくった。

03

ハレの日・ケの日というように、一日が24時間ということは変わらないまでも日々には波がある。学校の入学式や卒業式、成人式などひととおり経験して、当時はなんとなく過ぎていった日だったけれど、親の記憶のなかには鮮明に残る日だったのかもしれない。俵万智さんのサラダ記念日みたいに、だれかにとってはいつものなんでもない日であっても、自分にとっては思い出になる日もある。それは、自然にそうなることもあるけれど、自ら友人や家族を誘ってアクションすれば、作り出す事もできる。

04

興味がないのなら無理に気合をいれて飾り付けたりしなくたっていいのだけれど、思い出は増えにくいかもしれない。クリスマスツリーだって、買ったとてホコリをかぶる運命になるかもしれない。だから、なおさら、イベントの飾りや服はレンタルなりシェアがいいのかもしれない。メンテナンスでエネルギーを消耗することもないし、きっとあとになって残るのは傷んだイベントグッズたちではなく、その日を楽しんだという記憶だから。

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