Essay

認識のズレをなくすにはどうしたらいいのか?

 こんにちは、ジーンです。

 人と仕事を進めていくにせよ、友達と約束をかわすにせよ、

 自分の思ったように伝わらないことってありますよね。

 また、相手の意図とは違う行動をしてしまうこともあります。

結論:すべては伝わらないものだと割り切る

 物事の理解を深めるには何度も繰り返す、ということは避けては通れないと思います。

 また、文章だけでは伝えたいことは1割くらいしか伝わらないかもしれない、とも思います。

どうしてそう思ったのか?

 なぜなら、「あれ、自分の解釈は著者の伝えたいこととは違ったかもしれない」と気づいたからです。

具体例

 たとえば、phaさんの著書「しないことリスト」のなかで「コンコルドの誤謬」の話があります。

コンコルドはイギリスとフランスの共同開発で莫大な予算をかけて開発された機体なのだけど、

完成の前に既に「将来に渡って収益が望めないので、

開発を中止したほうが得だ」という見解が出ていた。

だけど、「今までに投下した資金や労力を無駄にするわけにはいかない」

という理由で開発は続行されて結局予測通り商業的に失敗した。

しないことリスト pha  大和書房より

 これを初めて読んだときのわたしの感想は、

「頭の良い人が作って大量の資金を投入した飛行機ですら、

 墜落した過去があるのだから、

 自分の考えなんてたかが知れている」

 「だから自分の考えにあまり期待しないでいよう」でした。

 しかし、ここでの著者の主張は、

間違った方向に進み続けるよりは、

早めに方針転換をしたほうが傷は浅くてすむ

しないことリスト pha  大和書房より

 ということでした。

 いわゆる損切りの概念のことを言っていて、

 別に飛行機が落ちたことがどうという話ではなく、

 完成の前に方向転換することもできたよね、

 ということなのでしょう。

別に何を考えたっていい

 たしかに、本を読んで何を思うか、考えるかは自由です。

 受験勉強でもなくエンターテインメントとして楽しんでいることは、

 よいことです。

 そして、感化されて思考を深めていくのも個人の自由です。

 でも、私の感想はただの自分のなかにあるポリシーや思想でした。

 著者の主張を受け入れたわけではなかった。

 いままで読んできた本、映画、音楽で著者や作曲者が伝えたかったことは、

 理解できているのだろうか、とも感じ、

 いつも自分は「わかった気になっている傾向があるのでは」と恥ずかしくもなりました。

では結局どうしたらいいのか?

 だから、わたしが本の読み手であったり話の聞き手になるときには、

 「まだ理解は不十分かもしれない」という姿勢を、

 文章の書き手になったりプレゼンをする立場になるときには

 「1割くらいしか伝わっていないかもしれない」という姿勢を忘れずにいたら、

 もっと意思疎通がスムーズにできたり、

 認識のズレを少なくできるのかもしれません。

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