Medical note

経歴振り返りを語ってみる[26歳]

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新卒で入社した医薬品メーカーでの理化学分析の仕事をやめたのは、26歳の夏頃だったと思う。職場でのチームのメンバーとの関係にストレスはほとんど感じていなくて、むしろ順調だと感じていたほどだった。ガスクロマトグラフィーでの分析に加えて、HPLCではHITACHI・島津・WATERS・アジレントとメーカー別に使えるようにもなった。取り扱い製品の最終試験項目のひとつである確認試験は、ほとんどなんの負荷も感じないくらいにこなせるようになり、TLCでの確認試験は30ロットくらい一度に秤量からデータまとめまでできるようになっていた。

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ほかには、製薬用水の分析が月に一度くらいの頻度であり、TOCだとかpHメータだとかは手順書を見ながらできた。作業員ひとりひとりに割り当てあられた担当機器のキャリブレーションが6ヶ月ごとにあったりもして、寒天培地の培養のための保温庫の校正だとか、溶出試験器の水平確認からベッセルごとの溶出率のばらつきの確認もしたような気がする。錠剤を担当することが多かったので、硬度計や錠径・錠厚を測るためのマイクロメーターもつかった。化学天秤での秤量は100mg単位くらいのものが多かったような気がする。微生物限度試験を担当していたので、試験エリアをパーティクルカウンタで環境確認したり、マイクロピペットで100μLくらいの取り扱いはしていた。電位差測定器で定量もした。

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メタノールやアセトニトリル、塩酸などは日常的に使う仕事だったけれど、改めて危険な薬剤だったと思う。有機溶剤取り扱い責任者の資格はあるかと聞かれることも多いけれど、とくに持っていない。たしか薬学部を卒業したことが、同等の知識があると認められるはずだけれど、責任者になって良いこともなさそうだったから、あんまり主張してこなかった。ショッピングモールでフレグランスが入っている褐色小瓶をみるたびに、レギュラトリーサイエンスの標準品みたいだなと思う。あんな高額な試薬を取りこぼしロスしてきて、ほんとうにすいません。

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分析の仕事から離れて5年位経つけれど、思い返すとけっこう業務はすきだったのかもしれないと思う。メスフラスコなりホールピペットなりの取り扱いに嫌気がさしたことはないし、目が疲れたりすることはあっても秤量には慣れた。出荷日が迫っている製品のデータ解析の間はいつもヒヤヒヤしてドキドキして、慣れなかったけれど、無事に数字が並んだときの達成感を味わえていたのかもしれない。

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ただ、当時は向上心もつよく、慣れた環境にずっといるよりもチャレンジしたい気持ちが強くなって、退職を決めた。上司には1ヶ月後を申し出たので、有給消化を加味すると全体アナウンスがあってから2週間で急にやめたひと、という印象かもしれない。

いまの自分が何を提供できるだろうと考えていくうちに、誰の何に対してなのか絞り込んだほうが良さそうだという発想になってきた。ビジネスでいえばターゲットのペルソナを具体的に想像するだとかいうらしいけれど、もっと広義でいうと誰を幸せにしたいかというところにいきつくのかもしれないと、いまのところは思っている。広く考えるくせがでて、収集がつかないけれど、いったん保留にしておこう。

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