LIFE

崇高なモチベーションでなくても良い

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セーターを着て冬物のコートを羽織ると若干暑く感じるくらい、陽気な日だった。風は相変わらず冷たいけれど、日差しが強いから日焼け止めは欠かせない。特段の用事もなく大型ショッピングモールをぶらついてみると、中学生か高校生くらいの人たちがちらほらと目に入る。結果がどうであれ、受験や学期が終わって、やっと遊べるというような覇気を感じる。

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生活をしていくには、何もいらない訳がない。派手でなくとも体温を守る衣服は要る。清潔を保つための石鹸だって必要であるし、何も食べずに生きるなんて無理だ。世界にはキャンピングカーで生活する強者もいるらしいけれど、落ち着いて安全に寝ることのできる住まいは、削ぎ落とせない。

そんなことは頭では分かっているけれど、”べつに何もこれ以上いらないな”と思うことがある。足りている、充分だ、という表現にも似ているけれど、なんとなく違う。

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22歳で人並みに就職先を探して、面接を受けて入社した1社目では、なんとか稼がなければという焦燥感が、働くモチベーションだったように思う。大学の奨学金の返済も背負ったスタートだったし、親を安心させたいし、子どもができたら…という保険会社が提示しそうな未来を想像して、稼ぐことに取り憑かれていたのかもしれない。

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その割には、なかなか進まない仕事。スキルアップを実感もせず、3年を過ぎたら当たり前に新人教育なんて頼まれたりした。ルーチン作業は負担を感じ過ぎることなくこなせてきたけれど、なんか直感がこのままではダメだと言う。だからもっと挑戦したほうが良いのかと、海外留学を理由に退職したりした。その後は東京でも生活してみて、なんだか疲れて体調も崩したから地元に戻った。一時的に実家に住まわせてもらったのでお金が貯まり、奨学金を繰上げ返済したら、あっと言う間にゴールが見えてうきて、困っている。子どもの教育費がかかるでもなく、自分ひとりがどうにか生活できればいいという状況だと、働くモチベーションは低くなる。

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きっと何も考えずに直感を無視していたら、今のような生活は経験出来なかったと思う。きっと定年退職した人ってこんな気持ちなんだろうか、ということも想像しやすくなった。それは、時間に余白がありすぎてもつまらないみたいだ、ということ。遊びしかり、仕事しかり、何かしら誰かに報いたいという崇高な気持ちでなくとも、ただ暇だから仕事する。そんなモチベーションだって良いのだとも思いはじめた。先月は、存分に本を読んだけれど、自分のアクションに繋がるトリガーがほとんどなかった。それならば、生身の人に出会うのが次のステップなのかもしれない。