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フリューゲルの音楽教室に通って1年が過ぎた。月に3−4回ほどのレッスンで、それなりに楽しかったけれど、2月末で退会の手続きをしてきた。特段大きな不満があったわけでもなく、支払いが苦しいわけでもなかった。それが理由だったりもする。苦ではないからといってダラダラと続ける必要もないな、ということだ。
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まず始めた理由は、いきなり仕事に手をつけるよりは、苦にならないことをやったほうが良いのではないか、という考えからだった。それはそれは効果が絶大で、自分にはこんな得意なことがあったのだという認識もできたし、そもそも楽しい時間が過ごせることに満足だった。これらをきっかけにYouTubeに動画を上げてみようだとか、ブログをはじめてみようだとか、地域の吹奏楽団への繋がりができたりだとかしたから、収穫は大きい。昨年度の10月にはコンサートホールでの本番も経験し、ピアノとフリューゲルのソロという人生初の経験もできた。
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退職後に時間拘束されることが全くなくなって、得たものは多い。それは、アクティブな行動の結果だけでなく、ほとんどの時間を自由に過ごせるとなった場合に自分がどう過ごすかということを考えるきっかけになったことだ。つまりはサラリーマンを60歳頃まで続けていたら、定年後の40年ほどをどうしようと悩むところを先取りできたともいえる。自分から仕事を取ると何が残って、自分は何が楽しくて、それにはどのくらいお金や時間をかけたいと感じているか、という価値観を見つめ直すことができているのかもしれない。
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ほかにも収入がほとんどない生活のなかで、いままでの自分の蓄えが心の余裕になるという実感も得つつ、どのくらい生活水準を落とせるのかということも体験できた。湯水の如く消費していた20代のころとは違って、何が将来的にリターンがありそうと思うか、もしくは支払ってもいいと思える浪費かなどに目を向けることができるようにもなった。予算管理なんてむずかしいことは棚上げして、欲のままに買い物をし続ける生活もできただろうけれど、いかに欲のコントロールが難しいかを知って遠ざけるという方法も学んだ。
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そして、一番は長く付き合ってきた何人もの友人がそのままでいてくれているということだ。お金がなかったら遊べないかもしれないだとか、離れていくのだろうかなんてのは杞憂だった。言い方はジョークの中身は本気で、生活は大丈夫かと心配してくれることもあった。けれども、お金を使わずに楽しめる遊びを一緒に考えてくれたりもした。嬉しかった。振り返れば子どものころなんて公園や教室で何時間も過ごせて、そんな時代を共にしてきたならば初心に帰っただけなのかもしれない。いずれにせよ、いまのわたしには充分すぎるくらいの目に見えない財産があるのだと思う。