LIFE

経歴振り返りを語ってみる[24歳]

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ヘビーな内容が苦手な方は、今、そっと、このページを閉じてほしい。

 

社会人生活3年目の夏に、わたしは全く声がでなくなった。病名は転換性障害(失声症)という診断だった。ショックやストレス、幼い時のトラウマが身体の機能を不全にしてしまいらしい。だから、2ヶ月くらいの休職期間がある。とにかく焦って焦って、焦りまくっていた。おとなになってからアトピーがひどくなって痣が残るほどになっていたから、ご飯は玄米にしてお菓子は食べないように、朝は食欲がなくてもなにかしら食べるようにして、と。

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ほかには、頭の中は仕事と家事でパンパンだったのに、ダンスしたい楽器を吹きたい、絵を描きたいし料理のレパートリーも増やしたいと、遊びも充実させたいという欲求にも煽られていた。そして、それらに加えて結婚すること、子供を産むこと、相手親との同居、家の荷物整理、住宅ローンに養育費、引っ越す場所選び、挨拶やら結婚式やら嫁入りやら。そんなプレッシャーがずっしりとのしかかっていた。

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たしかに24歳は結婚して子供がいても、何もおかしくないけれど、まだ自分にはやりたいこと、例えばバレエとかダンサーとしての仕事とか、海外に行ってみるだとか劇場で舞台を観るとかがいっぱいあって、それらができなくなるのかなと悲しい気持ちがあった。そう思いつつも、やっぱりタイミングでえいっ、と飛び込むときなのかなと話を無理やり進めてみたりもした。本当に後悔しないか?と毎日のように寝る前に考え込んで、すっきり眠ることも起きることもできなくなっていた。騒音のせいだと思って引っ越してはみたけれど、素敵な部屋なのになんだか落ち着かない、という毎日だった。

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でも、子供を産むなら2年以内、だから結婚するのは今年中、なんていわれてて、わたしはまだ心がそういう気持ちではなかったから待ちたかったけれど、2年より遅くなるなら子供はいらない、といわれて結構ショックだった。

自分の子供を持つこと、出産はしたいと漠然と思っていたのに、今、このままの流れでいったら一生子どもは持てないのかなんて思ったらかなしくもなった。だったら早い気もしたけれど、今、産むほうがいいかなとも思った。

そんなことでまた頭がいっぱいになったけれど、さらに3000万円近い借金を背負うような連名での住宅購入の話も自分の知らない所で進んでいて、相手の家族とも同居が条件なんていわれて、それはパンクもしますね。

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当時のその人が急にわたしの部屋にきて、ベランダに直行して何をするかと思えば煙草をふかしはじめた。その情景をみたらもう早く帰ってくれとしか思えなくなっていた。そのあたりから仕事にいっても頭がぼーっとして、普段しないミスを指摘されることも増えた。きっと声がでなくなったのは、その状況から逃げるための手段だったのかもしれないとすら思う。今はリハビリを経て、なんの違和感もなく人とおしゃべりを楽しめる。こんな経験があるから、ITの分野でも発話ができない人のためのコミュニケーションツールには強い興味があるし、会話ができるありがたみも感じて生活できている。すべてがわるい方へ転がることは、ない。だから、どうかこれをここまで読んでくれた方へ、なにか参考になることがあれば力になりたいと思う。

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