00
わたしにとって、ストレスという言葉は、
しばしばわるいこととして使われるものでした。
01
しかしながら、
ストレス反応は「かならずしもわるいことばかりでない」
「自分にとっていい刺激になることもある」
「相手は自分が気にしているほど、自分に関心はない」
という意見を聞いてから、
捉え方次第なのだなあと感じることもありました。
02
とはいっても、そのような考えがあることは、
いままで幾度もなく聞いてきたことであったりもします。
わたしは、そのときは「たしかに」と腑に落ちた気になるのに、
どうしても、他人の言動が頭から離れにくい傾向にあるとも感じていました。
そのとき思い出したのが、「社会人大学卒業見込み」でした。
漫才師であるオードリーの若林正恭さんの著書で、こんなフレーズがありました。
性格は形状記憶合金のようなもの。なかなか変えられない。だから、変えるんじゃなくてコントロールできるようになればいい。
若林正恭
そして、
真っ当な社会人に鳴らなきゃなんて焦らなくてもいいと思う。納得できないままでいいですよ。
ともありました。
03
なんだか、このひとにはわかってもらえる気がする。
そんな気分にさせてくれる言葉でした。
きっと、わたしに「他人を気にするな」だとか、
「他人の言動にエネルギーを持っていかれているのはもったいない」
だとか伝えてくれるひとは、
有意義な過ごし方がもっとあると、いいたいのかもしれません。
04
話を直接聞いているときは、
「そうですねえ」と特になんの違和感も感じずに聞けるけれど、
帰宅してふとベッドに向かうと、
「それはそうだけど…」と反論のような気持ちが湧いてきたりもします。
わたしが、まわりの言動を気にせず、
自分の軸をぶらさずに過ごせる日は、
もっとずっと先のことのような気がします。
あと10年、いや20年くらい経てば、
そのような境地にたどり着けるかもしれません。
にほんブログ村