00
ひさしぶりに、車で市街地へ向かい、
用事を済ませて帰宅しました。
慣れない土地での運転は、
筋力トレーニングとは違った、
こころの部分を消耗するようです。
市街地に車で向かうのは、
かれこれ1年ぶりくらいかもしれません。
右見て、左見て、後ろ見て、前見て、
ああ黄色信号だどうしよう?
右折したいけれども中央車線をきてしまった、
どうしよう?
車内で音楽をたのしむ余裕もあまりないまま、
路肩に並ぶタクシーや宅配のトラックを避けながら、
こんなことを思い出しました。
01
わたしがこどものころ、
「将来お金持ちになったら、車でどこへでもいけるのかな?」
と言ったとき、
「お金持ちになると、お付きの運転手さんを雇って、
専属運転手をお願いすることができるかもしれないね。
お金持ちになると、自分で運転しなくても、
行きたいところへいけるようになるよ。」
という話をだれかとしました。
ものすごく、衝撃的だったのです。
お金がたくさん手に入ると、
いろんなことが自分で「できる」とだけ思っていました。
02
しかしながら、
いろんなことを自分で「やらなくて良くなる」、
という方が価値があるのかもしれません。
なぜなら、人生の時間は有限だからです。
03
たとえば、趣味ではなく移動手段としての車を考えてみます。
車を維持するには、駐車場の確保、
車検、自動車税の支払い、保険の加入と継続の手続き、
地域によってはタイヤ交換、オイル交換、
エアコンフィルターの清掃やバッテリーの点検、
空気圧の管理など、メンテナンスにとても労力を必要とします。
それらは、時間も取られますし、
車のパーツや仕組みに、
特段興味があるわけではないひとにとっては、
負担ともとれます。
その負担は、いつでもどこへでもいけるという便利さとの、
トレードでもあると気が付きました。
04
若いときは人生に終わりがあると、
想像もできなかったり、
時間は無限にあるように感じていました。
それが、いつしか有限であることに気が付き、
時間とお金を天秤にかけることすら間違っているようにも
思うようにもなりました。
はたして、車に乗り続けるのは自分にとって価値あることなのか?
出発時間や到着時間が少々変わったとしても、
移動中にほかのことができる方が
有意義な時間の使い方なのか?
そんなことを考えて、
すぐに答えを出さなくてもいいな、
という結論になりました。
そして、あとでゆっくり考えることにして、
とりあえず今日は眠ることにします。
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