Essay

肉乃小路ニクヨさんの新刊を読んだ

01

この頃肉乃小路ニクヨさんのyoutubeがおもしろくて、新刊も読んだ。正論を述べたあとも少しだけジョークがあったりするのが、聴く人や読む人を和ませて離脱させない工夫なのかもと思う。言葉えらびに品があって、でも俗なことも理解している感じがバランスのとれた大人だなあと感じる。今の私が生きている中ではあまり出会わないタイプの方だからこそ、視座の高さや視野の広さが素敵だなと思う。

02

本のなかでしっくりきたフレーズがいくつかあった。

”焦らず、じっくり、逃げるのでもなく、消化するという時間も大切にしたからこそ、今の私があります。”

価値あるお金の増やし方 KADOKAWA

この部分を読んだとき、こんなにもパワフルに活動しているように映っている方にもそのような時期があったのだと、ホッとした。それと同時に、仕事が過密になったり、帰宅しても気が休まらない日が続いたときには、自分の気分が良くなることを優先しても良いのだということに気がついた。無理しないほうがよいだとか、ストイックになりすぎないようにだとか、言われることが多い。けれどもその境界線が自分では全くわからないので、とことん突き詰めていることがあるとも気づく。そういう性質なのだからある意味しかたがないという諦めも浮かんでくるのだけれど、自分の首を締めていることに気づかないというのは、つくづく人間は滑稽だなあなんて思ったりもする。

03

自分が30代に入ってから、学生時代や20代前半の新卒時代を思い出すことが多くなった。大学は自分で選んだというよりは、担任の先生に勧められたところをなんとなく受けたから、就職先なんて微塵も考えてなかった。わかっていたことは、いつまでも食いつぶす側ではなく養う側にならざるを得ない現実がくることだけだ。養う対象はそれぞれだとしても、少なくとも自分の面倒を見れるように身を立てなくてはならない。でも、どうやってするかイメージは沸かないままだった。

けれども、入学してみたら薬学部にきた理由がはっきりしている人ばかりだった。親が薬局経営をしているから薬剤師免許を見据えている子や、親が開業医だから継ぐために医学部に行く必要があり、仮面浪人している子がまわりにいた。サークル活動をしているとき、自分はダンスが楽しいとおもってのめり込んだのだけれど、先輩たちはあくまでも趣味の範囲だというスタンスがぶれていなかったように思う。

04

いまだにダンスや楽器は演者になるほうが楽しいとおもっているけれど、すべてにおいてスキルアップだとか生産効率だとか考えていると、息苦しくなってくる。タイムパフォーマンスもコストパフォーマンスもすべてかなぐり捨ててよいから、無駄だと切り捨て避けてきたものごとに活路があるのかもしれないなんて思いはじめている。