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あなたは死ぬことが具体的にイメージできたとき、どんなことを思うだろうか。考えたくもない?後悔なんてひとつもない?まだまだ先のこと?もうどうにでもなれ?
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世界中の多くのひとは、どんな後悔があるか?という問いに対して「そんなに仕事をしすぎなくても良かった」だとか「もっとたくさんの挑戦をすればよかった」だとか思うらしい。
きっと、仕事をしすぎなくても良かったと答えたひとは、我慢しながらお金のため、
家族のため、生きていくためなのだと自分自身に言い聞かせてやるものが「仕事」の位置づけだったのだろうと思う。
わたしも、生活のためには手取りいくら必要で、そのためにはどのくらい働くべきか?と考えたこともあった。
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けれども、親から離れて10年、仕事から離れて2年経った今、思うことがある。
ありあまるほどの時間の余白ができたときに最初に襲ってくるのは、何かしていなければいけない、という自分の内側からの声だったりする。まわりは何とも思っていないだろうけれど、自分ひとりで焦ってなんでも良いから動いていなければならない、という気持ちがくる。
その後だんだんと、なんでも目についたことをやるのではなくて、ずっとやりたかったけれど仕事を理由にできないと決めつけていたことをやろう、と思い始めた。
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そして、こどものころにずっと楽しくやっていた楽器を再開し、学生時代に作文を褒められたことからこのブログを書き始めた。
さらに、楽器演奏の上達を感じると今度は誰かに聴いてもらいたくなった。そうやってイベントに出たり、Web上にUPすると反応があって面白くなってきた。わたしには何にも取り柄がないと落ち込んだ日が嘘みたいで、笑けてくる。
ふと、本の整理をしていると読み直した本にこんなフレーズがあった。
あなたが会社をやめられないのは、「やめたら損をする」と思っているから
中略
冷静に考えてほしい。「損切り」をしないことで犠牲になっているのは、あなたに用意された手つかずの「人生」だ。本当に生きたい人生を捨てるという大損をしながら、なぜ今の仕事の「損切り」ができないのか、僕には理解できない。
遊ぶが勝ち! 堀江貴文/セブン&アイ出版
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堀江さんの本を読むと「有り金は全て使え!」みたいなパンチのある言葉が目立つ印象を受けるけれど、すんなり納得できる部分もある。株式投資の世界では、基本として損切りしたり買い増したりする際の自分ルールを決めておく、というのがあるそうだ。
もしも今後、仕事の選択に迷ったら、すこしでも楽しそうと感じる方を選ぶというルールを自分の中に設けようかな、なんてぼんやり思った。
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