00
最期がもしも選べるのなら、ぽっくりいきたい。
そういう声はよく聞くけれど、もしものことがあったら、
きっと、もっと生きたいと思うかもしれません。
いや、もう楽にしてくれと、思うこともあるでしょう。
01
自分の最期をどう迎えたいか。
実家の片付けをしながら、家族とそんな話になりました。
臓器提供は望むのか?
鎮痛剤の使用は延命措置ととるのか?
避けたい治療はあるのか?
考え方はたとえ血縁関係にあっても、それぞれです。
できるだけ本人の希望を叶えてあげたいと、
残されたひとは思うでしょう。
02
やっと、実家に置いていた荷物の仕分けが終わり、
ほとんどの書類を廃棄しました。
たとえば、給与明細、年金関連や住民税の通知など、
なんとなく個人情報が詰まっていそうで、
シュレッターで裁断するにも分厚いはがき類でした。
ほかには、不動産の賃貸契約書や、
引っ越しの見積書などもクリアファイルにいれて、
保管していました。
次回の引っ越しの参考になるかもしれないと、
不動産関連の書類はとっておいたのですが、
結局は毎度状況も大きく異なるので、
あまり役には立ちませんでした。
03
ペーパーレスに移行する前の生活でずっと保管していたものは、
ここ10年でほぼ見返すことはありませんでした。
いるか、いらないかの判断のほかに、
どう廃棄するかを調べないといけないものはいくつも出てきます。
片付けとは、ほんとうに、気力のあるときにしかできないよなあと思うと同時に、
できるだけ増やしたくないとも感じます。
そして、時間をこんなモノのために過ごしていていいのか、
とも感じました。
04
人生100年時代とも言われる昨今、
自分や家族を含むひとの残された時間は、
わかりません。
だからこそ、今日いちにちを、
どう過ごすか考えたときに、
できるだけ身綺麗にしておきたい。
残したくないもの、
見られたくないものはさっさと処分してしまおう。
そんな勢いの今日でした。
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