Essay

ただのいちにちは、喉から手が出るほどに望むいちにち、なのかもしれない【アフガニスタン報道で思うこと】

00

自分の人生は自分で決める。

そんなタイトルの本やコラムが流行った時期もあったようで、

いまだに売れ続けているものもあります。

01

なんだか、人生とか生き方とか死に方とかいうと、

とてつもなく壮大な響きがします。

だけれども、ただの「いちにち」の集まりなのではないか、

とも感じます。

だから、今日、何をするか何をしないか、

自分で決めることができるのであれば、

コントロールできているともいえます。

02

しかし、そのようにできない状況のひともよのなかにはいる。

連日のアフガニスタンの情勢に関する報道は、

どこまでが本当なのかもわかりません。

わたしの勉強不足もあり、なぜ、

そのようなことになっているのかも、

詳しくはわかりません。

知りたくて、複数の媒体で少し探してみたけれど、

日本経済新聞とCNNでも取り上げ方は違うし、

日本の地方紙の一面はワクチン関連だったりします。

新聞やYouTubeチャンネル、

TVニュース、ネットニュースとあらゆる媒体で、

たくさんのひとがあれこれと事件を伝えているけれど、

わたしはそれらによってどういう影響を受けているのだろうか、

とも考えました。

03

アメリカ軍の兵士に赤ん坊を渡す、

アフガニスタンのひとの動画が、

ネット上で拡散したとの情報もあります。

しかし、それを見て、可哀想だとか、

大変な状況だとか感じるのか。

はたまた、同情をかうための、

利益を得るためのだれかの陰謀なのかもしれないと感じるのか。

日本語でアクセスする界隈には、こんな情報を流しておけばいい、

という情報操作なのかもしれない。

それは、斜めに見過ぎなのだろうか、

などとも感じます。

考えたところで、これらは解のない問いでもあります。

04

ニュースからの情報で、今日いちにちの、

自分の行動は変えることができます。

何か、よのなかの誰かのために、

という徳の高いことをするのも良いのだと思います。

だけれども、わたしはきっと、今日も朝起きて、

コーヒーを飲んで、筋トレして、

徒然なるなるままにブログを書き、

なにごともなく過ごして、床につきます。

安心と安全が確保されている生活。

その、ただのいちにちは、誰かにとっては、

喉から手が出るほどに望むいちにち、

なのかもしれません。

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