Essay

意外にそのひと言で救われたりするから

00

もっと自分から、友人に連絡してみたり、イベントに誘ったりしてみようと思い始めた。

01

とても久しぶりに高校時代からの友人に会えた。1年以上会っていなかったけれど、相変わらず話はじめるとお互い高校生になったような不思議な気分になる。

社会人になったりライフステージが変わると、価値観も変わったりして自分を取り巻くひとは自然と移り変わっていく。

友人関係について、寂しいような気がしたこともあったけれど、新しい環境では新しい仲間や友人ができたりすることも知って、だいぶ慌てなくなったと思う。

02

その友人はわたしにとって、とても貴重な存在のひとりだ。ライフステージが変わっても、私に対する接し方は何ひとつ変わりない。お互いに家庭や仕事での顔は違うのだろうけれど、10代のままでいる感性をさらけだしても大丈夫だという安心感がある。そういうひとが居ることは、大げさにいえば人生の財産なのだと思う。

03

高校を卒業して、短大に行ったり大学に行ったり、一人暮らししたり二人暮らししたり、子育てしたり。仕事を変えたり場所を変えたり、体調不良を相談したり。若いときは異性関係の話もしたかもしれない。すべてを共有しているわけではないから、どんなひとなのか理解しているとは言い切れないのだけれど、わりと肝のすわったひとだというイメージだった。

けれども今回、話を聞いていて脆さもあるんだなあと感じて心配になった。

ピスタチオ味のソフトクリームを一緒に食べながら、自分がしてあげられることって何だろうと考えたけれど、気の利いたことが浮かばなかった。「気にすることないよ」だとか「リラックスして」だとか、頭で浮かぶ言葉と感情の葛藤がより本人の負担になることも気がかりで、安易な言葉はかけられない気もした。

04

でも、もっと気軽に声をかければいいのかもしれない。こんな歌詞を思い出した。

元気のないやつがいたら

気軽に声をかけてやればいい

意外にそのひと言で 救われたりするから

Giver/EXILE 作詞/ATSUSHI

女性にはホルモンのバランスが変わるタイミングが必ずあって、自分ではコントロールできないことが多い。自宅にいることや近所の公園に行くことがほとんどになって、大人同士で話すことが減ると、気が狂いそうになるとも聞いた。いつもはわたしから連絡したり会う約束を提案することは少なかったのだけれど、せめてもう少し外に連れ出してあげることができたらいいのだろうか、と考えている。

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